市長メッセージ

更新日:2021年12月01日

職員の皆さん、おはようございます。市長の十屋でございます。
今日も一日、「笑顔であいさつ 日本一 ひゅうが」でよろしくお願いします。

早いもので、今年もコロナ禍の中、残すところあと一か月となりました。寒さが厳しくなりましたので、体調管理には十分気をつけて職務に励んでいただきたいと思います。

さて、11月20日(土)に、「日向市市制施行70周年記念式典」を挙行しました。
コロナ禍の中、様々な制約を受ける中での開催となりましたが、河野宮崎県知事、衆参国会議員、県議会議員や各市町村長などの御来賓をお迎えし、市民約400人の参加のもと盛会に開催することができたと感じています。
式典の準備や運営でご協力いただいた職員の皆さんに、心より感謝いたします。

式典では、これまでの歩みを振り返り、自治や福祉、産業など、各方面において本市の発展にご尽力いただいた一般功労者の皆様への表彰を行い、心から感謝と敬意を表しました。
また、「青の国大賞」、「日向市民栄誉賞」、「同特別賞」の表彰も行い、受賞された皆様からメッセージをいただくなど、式典に華を添えていただきました。

今回の70周年の節目を経て、本市は、「海・山・人がつながり笑顔で暮らせる元気なまち~リラックスタウン日向」に向けて、新たな一歩を踏み出しました。
これを機に、総合計画に掲げる「若者と女性に選ばれるまち”日向” 未来づくり戦略」を、市民、企業・団体、行政が一体となり、協働して進めていくことが必要です。
私自身が先頭に立ち、本市の新たな未来に向かって全力で取り組んでいきますので、職員の皆さんの協力をよろしくお願いします。

次に、新型コロナウイルス感染症についてです。
全国的に感染者数も落ち着き、県や本市においても40日以上感染者が確認されていない状況です。しかしながら、ワクチン接種率が高い一部の諸外国では感染の再拡大がみられ、新たに「オミクロン株」という変異株が確認されるなど、不安な一面もあります。

そのような中、国の基本的対処方針の見直しに伴い、県は対応方針の基準を見直しています。

具体的には、

  1. 県外との往来は、「感染拡大地域」、「まん延防止等重点措置区域」、「緊急事態措置区域」については、不要不急の往来自粛
  2. 来県は、「まん延防止等重点措置区域」、「緊急事態措置区域」については、不要不急の往来自粛
    (ただし、県外との往来・来県ともに、ワクチン・検査パッケージ適用者は対象外)
  3. 会食時の「みやざきモデル」の推奨
  4. イベント開催における制限(収容率と人数上限でどちらか小さい方を限度)
  5. 高齢者施設・障がい者施設の面会は、感染対策を徹底の上、人数・時間を最小限で
  6. 高齢者・基礎疾患のある方、高齢者施設・障がい者施設・医療機関従事者等の会食は、できるだけ身近な人と
     
    以上のような、これまでの行動要請を緩和する方向の内容となっています。
     
    今後は、感染リスクを引き下げながら、社会経済活動の継続を図ることが必要です。
    ワクチン接種も着実に進んでおり、今後は3回目の接種に向けた準備が進んでいきます。
    引き続き、感染防止対策に万全を尽くすとともに、経済対策や生活支援策など機を逸することなく取り組み、ウィズコロナ・アフターコロナを踏まえた施策を推進していきますので、職員の皆さんの協力をお願いします。
    専門家は第6波の到来を予想するなど見解を述べていることから、今後も決して気を緩めることなく、基本的な感染防止対策を徹底しましょう。

最後に、12月定例議会が開会しました。
今回の一般質問は17人の議員が登壇され、多くの質問が行われます。市民を代表する議員の皆様からの質疑対応となりますので、適切な議会対応について、職員の皆さんのご協力をよろしくお願いします。

それでは、今月も一緒に頑張りましょう。

【今月の一言】

日向市市制施行70周年の想い
日向市のイメージは「日向―光満ちるくにの生活誌」では、次のように書かれています。
「朝日の輝かしく明るい光が、夜の闇を追い払って世界を一新しようと、ほのぼのと射してくる。何よりもその清新な力の広がりが、この名称に息づいている。」また、日向を「ひなた」の語感は暖かくて屈託のない趣もまた「ひゅうが」の地名の中に溶け入っている。
そして、古事記は、日本最古の歴史書で文学的な価値も高い書物で、日本神話を伝える書
物を奈良時代712年に太安万侶(おおのやすまろ)が編集しました。
日本書記は、国が公式に奈良時代編集した、日本の歴史書であります。
この書物二つを総称して「記紀」と呼び、宮崎県と南九州(鹿児島県大隅半島も含んでいた)の地名として、日向国と呼ばれていました。この記紀に出てくる「日向国」は、明るく輝く地として日に向かう意味があります。このように、歴史と伝統のある「日向」という素晴らしい名前を本市は使っています。

宮崎県域の旧国名である日向を市名とする経緯は、まず、明治22年の町村制の施行により、日知屋村、財光寺村、塩見村、富高村が合併し「富高村」が誕生し、細島は「細島町」に、幸脇村と平岩村が合併し「岩脇村」となりました。そして、明治31年には美々津村が「美々津町」となり、大正10年に富高村が「富高町」になり、昭和12年に富高町と細島町が合併して「富島町」となりました。
その後、岩脇村と富島町、門川町、美々津町が合併の協議をしましたが、門川町は時期早尚で辞退、美々津町は一度僅差で合併を決議し3町村で県議会に新市設置を申請しましたが、美々津町の反対住民が県に押しかけ紛糾し県議会の上程が延期され、美々津町は住民投票で合併を辞退しました。
結局、岩脇村と富島町が昭和26年4月1日に合併しましたが、市名で「富高市」か「富島市」かの紆余曲折があり、旧富高側が譲歩し一度は「富島市」に決まりましたが、富島・岩脇の合同議員総会で差し戻しされ、再度協議されました。
この内容について、私が市議会議員であった平成10年に、広域行政対策特別委員会で合併について調査したなかで、富島町では、富高・細島両地区から利害の絡まない第三者の岩脇村に下駄を預けられ、30ほどの名前の中から選ばれました。諸説ありますが唐突に「児玉政市市議」が提案した「日向はどうじゃろかい」という意見を全協で図り、議論を重ね日向市に決まったと言われています。

そして、県議会では「こんな小さい3万ぐらいの市から日向を取られてたまるもんか」と言う意見等もあり、将来改正するということで「暫定的にという」付帯決議を付けて、仕方なく許して、本県6番目の市として日向市が誕生しました。
その後、美々津町は昭和30年1月1日に合併し、平成18年2月25日に東郷町との合併を経て、市制施行70年を迎え現在に至っており、「暫定的にという」事が無くなったという決定や書類は残っていませんので、「日向市」を未来永劫使います。
当時の合併政策も、平成の大合併と同じように国策でありました。いつの時代も地方自治は国の政策に翻弄されますね。

以上のような歴史を踏まえ誕生した「日向市」の初代市長 三尾良次郎氏は、後の施政方針演説で「この地は、本県の表玄関である細島港を控え・・(中略)・・私たちは、県のため国のため、日向市を商工業都市として発展させねばならないと思います」と述べられ、当時の田中知事に要望し、細島工業地帯造成の草案を作り、相川勝六代議士の協力の下、宮崎県は、昭和27年から細島臨海港地区の造成工事に着工し、工場用地の埋立造成、工業港の建設を始めました。整備が進むと各種経済団体が視察に訪れましたが、一方で、昭和30年9月に海が汚れると、工場誘致反対の住民大会が県庁前で開かれ、住民が県庁内に乱入する事態もありました。
 国は、高度成長時代に、全国総合開発計画の主要政策として、1962年(昭和37年)の新産業都市建設促進法に基づき、全国15か所を指定し、全国44か所の中から、昭和39年に日向・延岡地区を指定しました。

※「新産業都市建設促進法とは、大都市における人口及び産業の過度の集中を防止し、並びに地域格差の是正を図るとともに、雇用の安定を図るため、産業の立地条件及び都市施設を整備することにより、その地方の開発発展の中核となるべき新産業都市の建設を促進し、もつて国土の均衡ある開発発展及び国民経済の発達に資することを目的として制定された法律である。」 
(現在も、「地方創生」の格差是正と変わりがありませんね。)

このような時代背景の中、昭和40年に新産業都市整備のための特別措置法が整備され、本市も財政上の支援を受けてきました。そして、長らく工場用地が空地となり雑草が生い茂るなど大きな課題となっていましたが、現在では、旭化成や日向精錬所、東ソー、第一糖業など企業立地が進み、工場用地が残り少なくなっているなど日向市は発展してきました。

このような歩みを経て、本市の豊かな自然や歴史・文化などの恵みを大切に受け継ぎながら、産業経済の発展、社会福祉の充実、教育文化の振興等に積極的に取り組み、市政の発展を続け、今回、大きな節目となる市制施行70周年を迎えることができました。
市制施行初代の三尾良次郎市長をはじめ歴代市長、市議会、さらには、先人や市民各位のご努力と、国、県、及び関係機関・団体のお力添えの賜物であると考えます。
この節目の年を機に、これまでの歩みを未来につなげ、人と人、さらには市の魅力と新たな価値とがつながっていく出発点として、更なる発展を目指しながら、本市の魅力をより一層高めていきます。
その為には、地域社会を構成する市民の皆様や企業、団体、市職員が協働し、それぞれの役割に応じて連携しながら、「海・山・人がつながり 笑顔で暮らせる元気なまち”リラックスタウン日向”」の実現に向けて様々な政策を推進していくことが大事だと考えます。
そして、本市の地域資源を生かして「日向で育った子どもたちが、地元に残り、あるいは帰りたくなるような、笑顔があふれる心豊かな日向市」の実現に向け、私自身が先頭に立ちまい進する決意であります。

最後に、私は、明治維新の指導者「高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋」などを松下村塾で育てた「吉田松陰」を尊敬しています。
国を思う信念は、どのような逆境にあっても、いささかも揺るがず、29歳という若さで亡くなり、次のような言葉を残しています。

「心が死ねば、生きていても意味がない。魂が生き続けていれば、肉体が死んだとしても意味がある」、
つまり、後に明治維新を成し遂げるような指導者を育てることによって、自分の魂、思想は生き続けていくという思いだと考えます。
このように、私も「至信」・・・信じることを貫く」この言葉を政治信条とし、いつも心において市政を担わせていただいております。
吉田松陰語録を記し、私の市制施行70周年の想いといたします。

吉田松陰語録
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に夢なき者に成功なし